先日こんな文章を読んだ。
遊び心を持とうというお話。
スタバで子供が遊んでいた。
柱と柱の間を駆け抜けて遊ぶ子供がいて
静かにしなさいと母親が叫んでいた。
子供は新しい遊び方を思いついた(作り上げた)
しかし否定された、と。
あくまで一例として書かれていたことだけど引っかかった。
そこで注意することで子供の遊び心、可能性が否定されるのか?
正直書いた人は子供を持つ親なのか疑問だ。
もしかしたらいるかもしれないが育児は母親に任せっきりかもしれない。
別に記事の批判をするわけではない。(だからリンクは添付しません。)
遊び心は必要だと私も思う。
自身も年をとればとるほどそれがなくなっていく気がするのもわかる。
ただ、やはり注意することが子供の遊び心の可能性をつぶしている例となりえるのか
はなはだ疑問だ。
正直、読んでちょっとイラッとした。
子供の教育というのは千差万別、どういう性格を持つ子供かは一人ひとり違う。
幼稚園の発表会で色々な子を見ていても思う。
うちの子の成長を見ていてもあの時はこうだったけど今はこうだよねという成長も日々
感じられる。1年前と比べたらこんなに成長してと涙がでてくるくらいに。
実際に私も先日、家具屋に行ったときに子供をコテンパンに叱った。
なぜか?簡単だ。家具屋の家具を壊したら大変だから。
悪い言い方?をすれば傷をつけでもしたらそれを買わないといけないという親のリスク回避。また、こういうところで遊ぶとこんなことが起こってこう困ることになるんだぞ、ということを教えなければいけないという義務感から。
スタバで叫んでいた母親も同じ気持ちかもしれない。
たぶん母親はスタバの料金に含まれるサービスが何かを知っている。
スタバでは雰囲気も料金に含まれている。だからこそ叱るんだ。怒鳴ってでも。
もしスタバで走り回っている子供がいたらほかのお客さんはどう感じるだろう。
またそこに高級スーツでも来た人がコーヒーをもって通った時にぶつかりでもしたら
スーツが汚れてしまったらどうだろう。
親は責任もって対応しなければいけない。
子供を好きに遊べせられるというは現在ではなかなか大変なことなの。
公園でも何をしてはいけない。色々な事故が原因?で遊具も無難なものしかない。
自分は昔、裏山に上ってケガして帰った記憶もあるけど今は裏山もない。
せっかく住宅地に住んだというのに家の前で好き勝手遊べるわけではない。
車は入ってくるし。周辺にはリスクがたくさん転がっている。
実際に住宅地の中でボール遊びして隣の家の車にあたって賠償問題という話も聞く。
親は子供を育てるときに責任もって育てる。
でも好きにさせて問題が起きた時に子供だから勘弁してというのは話が通らない。
こういうと自分のために子供を叱っているの?と思われるかと思う。
しかしながらまだ理解が浅い子供を叱る際に理解をさせるというのは1回言って
痛い目をみたから次からしないかというとそんなことはない。
だからこそ何度でもわかるまで何度でも叱るの。
親だってそれが何度も続くと感情的になって怒ってしまうことはある。
1回やってもまたやるのが子供だ。だって楽しいから。その時は忘れちゃうんですよ。
それは大人にだってあるでしょ。お酒飲んでなんとか。。。
まあそれは置いといて、なので子供を叱ることが可能性をつぶすというのは違うと思う、と思ったわけです。
遊び心は必要だと思うけど可能性をつぶすからと言って好き勝手させるのはまた違うこと。
やさしく言って聞かせられればそれに越したことはないけどそれは理想論だと私は思う。
皆さんはどう思いますか?私はとても気になります。
こういう議論はポジショントークになるだろうとは思うけどやっぱり気になったので書いてみました。